03伊沢修二

伊沢修二

仰げば尊しを作った作曲家は伊沢修二といわれています。
いざわ・しゅうじ
長野県出身
嘉永4年6月29日(1851年7月27日)生
大正6年(1917年)5月3日没
唱歌の成立に欠かすことのできない教育者。長野県の高遠町(たかとおまち)の出身。
幕末の慶応年間にすでに洋楽を学び、明治5年に大学南校を卒業、文部省へ入りました。
明治8年から11年までは師範学科を学ぶためにアメリカへ留学、この時に、感覚的に洋楽が呑み込めずに散々に苦労したという話は有名です。
明治12(1879)年、唱歌の作成・編さんと教師の養成機関である「音楽取調掛(おんがくとりしらべかかり)」が文部省に設置され、初代所長となります。
その後、音楽教育の師であったメイソンを招き、明治14年に日本初の官製唱歌集『小学唱歌集』を完成させました。
東京音楽学校(現・東京芸大)の初代校長を務めたのち、貴族院議員にもなりました。
作曲には「皇御国(すめらみくに)」などがあります。
有名な「蝶々」は、彼が留学時代に作詞した「唱歌第1号」とされているが、彼が愛知県師範学校の校長だった時(留学以前)に、同校の教師だった野村秋足(あきたり)に作詞を命じたものとも言われています。
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